まだ暗い鳴川峠に至る道。生駒山の山頂ではなく、そのやや南の鳴川峠を目指します。生駒山は現世信仰で知られる宝山寺を中心として、滝の修行場や祠など大小さまざまな宗教団体の施設が設けられています。いわゆる霊山としてとらえる人もおられます。
「こうぎりの道」とも呼ぶそうです。これは大阪府が一帯を府民の森「なるかわ園地」として公園整備した際につけた名称ですね。鬼伝説で有名なこうぎり(髪切)の名をとり、管理道の一部に手を加え、手軽に山登りや大阪平野のながめを体験できるように作られているそうです。
十三峠近辺より、大阪方面。 東西に渡る道は十三街道(じゅうさんかいどう)あるいは 俊徳街道(しゅんとくかいどう) と呼ばれ、 大阪府大阪市の玉造駅付近あるいは四天王寺南門付近から、奈良県生駒郡斑鳩町の竜田までを結ぶ街道のことを指します。
今回は立ち寄ることがありませんでしたが、お天気カメラからは高安山の背後に信貴山も見えています。 信貴山は、聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山で毘沙門天が現れ、太子が信ずべし、貴ぶべしといったことに由来すると伝わります。 一帯には信貴山真言宗朝護孫子寺が建ち、山頂には山城である信貴山城がありました。
大和川にかかる国豊橋より二上山方面を望む 竜田越奈良街道(北ルート)と長尾街道が交わる地点にあたり、昔も今も交通の要衝。 江戸時代には渡し船で両岸を結んでいましたが、当時の国分村の住民が幕府へ架橋を願い出て許可自体はされるものの、資金不足で架橋されることはなかったそうです。 明治時代に河内国の東高野街道沿線一帯から資金調達を行い、ようやく1870年(明治3年)に橋が架けられました。最初の橋は木橋であり、維持をするのに苦労したと伝えられています。
屯鶴峯 屯鶴峯(どんづるほう)は、二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、 1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山です。奈良県天然記念物となっております。
屯鶴峯 ここには、第二次世界大戦中に造られた複雑な防空壕があることでも知られております。 現在、防空壕の一部は京都大学防災研究所附属地震予知研究センター屯鶴峯観測所として使用されております。 遠くからながめると、松林に多くの鶴が屯(たむろ)しているように見えることから「屯鶴峯」(どんづるぼう)と名付けられたとのことです。
目指す二上山(にじょうざん)です。かつては大和言葉による読みで「ふたかみやま」と呼ばれました。左が北方の雄岳(標高517m)、右が南方の雌岳(標高474m)。2つの山頂がある双耳峰です。 お天気カメラからも毎日のように、この特徴のある双耳峰を拝むことができます。ダイヤモンドトレールのルートを行きます。
竹内街道。(別日撮影) 竹内街道(たけのうちかいどう)は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26kmの街道です。 日本最古(7世紀初め頃)の官道であり、日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されています。
岩橋山です。役行者が、地元の御所市に鎮座する一言主神をはじめとする、日本の神々に命じて、 奈良県の吉野地方にある金峰山まで、岩の橋を架けようとしたという伝説が伝えられている事から、 岩橋山という名前がついたとされているそうです。山頂には三等三角点が設置されています。
大和葛城山 5月になると、山頂から南側の斜面にかけてのなだらかな高原一面にツツジが咲き、その様子は「一目百万本」と形容されるほどです。 秋には、山頂一帯をススキの穂が埋めつくします。、冬には樹氷や霧氷の花を見ることができます。 奈良県御所市側の登山口から山頂付近まで葛城山ロープウェイが運行されており、山頂まで気軽に来ることができます。